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  • Junpei Shimosako

田中大貴 West to Japan 24

更新日:1月4日



West to Japan 24 

長崎市営陸上競技場(長崎市松山町) 長崎市民からは「松山」と呼ばれている。

 アスリート・市民ランナーの練習場でもあり、陸上など学生の部活動や、ウォーキング、ダンス、体操、運動会、園芸のイベントなど様々な目的で利用されている。

 2009年夏、稲佐山ライブの時は、長崎ビックNスタジアムで始球式をした福山雅治さんが、車でこの松山に移動した後に、グランドに用意されていたヘリコプターに乗り、稲佐山まで飛んでから、稲佐山公園野外ステージに登場したという、伝説の舞台でもある。

 僕は、ランニングの途中に時々、この松山に寄って、1kmのインターバル走をする。

この場所を走るたびに、いつも、約8年前のある出会いを思い出す。


2009年8月上旬、休日の夜に、この辺りを走っていると、「しもさこさんっ」

と長身の男性から声をかけられた。

当時、僕は長崎西高校(西高)バスケット部でトレーナーとして男子・女子のサポートをしており、この彼も、よく知っている選手だった。

 田中大貴(ダイキ) 当時、17歳 長崎西高3年 バスケ部主将(身長192cm)

 まさかこの場所でダイキに会うとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。

彼は、体育館でのハードな休日練習が終わってからも、自主トレとして、松山でランニングしていた。

スタミナ不足を克服し、西高エース対策で自分に相手のマークが集中しても、40分間走り切るための地道なトレーニング。

その時に改めて、ダイキの努力家の一面を見た。

 それ以前から、西高女子のトレーニング指導のため、朝7時頃に体育館に行ったときも、ダイキが朝早くから3Pシュートの自主練習をしている姿を目にしていた。

 その当時、バスケットゴールが設置されている西高第一体育館は、改修工事のために使用できず、ゴールがない第二体育館で、男女ともに朝練をしていた。

夕方や休日には、県立総合体育館や三菱体育館などを借りて練習する、監督さん曰く、「ジプシー生活」だったそうだ。

 当時、ゴールがない第二体育館で使用されていた移動式のゴールスタンドである。

現在は、使用されておらず、西高第一体育館前の駐車場の端に、稲佐山の方向を向いて置かれている。稲佐山は、西高からもよく見渡せる。雑誌で読んだが、ダイキは稲佐山、稲佐山から見える夜景も好きらしい。

このバスケットゴールで、一番多く、朝のシュート練習をしていたのは、僕の知る限り、田中大貴だろう。

それから7年後、日本バスケットボール界の新しい幕開け  

2016年9月22日(祝) 国立代々木競技場 第一体育館

全国ネットでTV中継された Bリーグ開幕戦

アルバルク東京 vs 琉球ゴールデンキングス

アルバルク東京のシューティングガード(SG)としてスタメン出場し、勝利に貢献。

試合終了後には、勝利チーム代表でTVインタビューにしっかりと答えていた。

冷静に、熱く、プロとしての決意を、謙虚に語る田中大貴選手。

高校時代の彼を知る者の一人として、長崎人として、トレーナーとして、誇りに思う瞬間であった。本当に嬉しく、感動した。

地方の県立高校から、日本を代表するバスケットボールプレーヤーとなった、ダイキ。

数々の悔しい思いをバネにして、ひた向きに努力を続けてきた結果として、日本代表へ。

2016年7月24日には、なんと、あの井上雄彦先生と朝日新聞で対談している。

タイトルは、「スラムダンクの続きが見たい」

スラムダンク名場面の一つ。

流川と仙道は、同じ公園のバスケットゴールを使って、自主練習をしていた。

田中大貴も、間違いなく、努力家だ。


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